有馬藤太は、魔都・上海にいるのか?

新選組!」最終回が今も引いている。あの回の有馬藤太、勝海舟西郷隆盛はよかった。

あの薩摩隼人、有馬藤太は魔都・上海の時代をどう生きただろうか?

有馬は近藤を捕え、板橋本営に送ったが、その際、近藤の処分を自分に任せて欲しいと申し送った。
しかし、坂本龍馬殺害は新撰組と信じていた谷干城らが処刑を強行したという。
ちなみに、子母沢寛の「新選組始末記」によれば、中村半次郎らも、俺がいたら、そうはさせなかったと言ったという。
藤太は明治6年、西郷が征韓論に敗れて、下野すると行動をともにし、
明治10年、西郷が挙兵すると大阪で呼応しようとしたが、事前に捕えられて投獄させられた。
出獄後、満州に渡り、玄洋社頭山満の下で活動した。死んだのは大正3年だった。

ああ、そうか。彼こそは平岡浩太郎のように、上海に向かったのだろう。
彼は薩摩人であったが、東郷平八郎の特務機関には加わらないだろう。独自の道を歩んだに違いない。もう少し、妄想しておこう。